後小松天皇の時代に、足利道義が信濃国安曇野郡駒沢に創建しました。
臨済宗の僧・霊見性海を開山とし、25貫文の朱印地を受けて「万松山華厳寺」と称しました。
創建から100年後、寺は火災により焼失します。
将軍足利義晴の命で善光寺付近へ移転し「真想寺」と改称。
戦乱の中、寺は再び焼失します。
金箱村へ再建され、徳川幕府から寺領20石を与えられて「信叟寺」と改称。このとき曹洞宗に改宗し、宗祖道元の法系に属する寺となりました。
洪水のため1714年(正徳4年)に現在地へ移転。
山門は飯山城の大手門を1881年(明治14年)に移築したものでしたが、1906年(明治39年)の火災で一部を残して焼失しました。
試練が続きます。
信叟寺は、檀家や信徒の信仰を受けながら、六百年以上にわたり法灯を守り続けています。